卓見異見

 

第二回

言葉の壁

半導体シニア協会

理事長
牧本 次生


 言葉には目に見えない壁があり、人と人、国と国との相互理解を妨げる大きな要因となることがある。今回の主題は現在日本が直面している、「英語」の壁である。日本人は英語力に乏しいということはよく言われるところであるが、初めにもっともわかりやすい事例を紹介したい。
 2000年の沖縄サミットの折、クリントン大統領との会談を控えた日本首相は、初めの挨拶だけでも英語でやりたいと考え、秘書官から次のようなレッスンを受けた。
 初めに「ハウ・アー・ユー?」と言う。先方は「アイム・ファイン。アンド・ユー?」と聞くはずです。そうしたら「ミー・ツー」と受けてください。これだけです!
 ところが、本番に臨んで、わが首相いささか上がってしまったのか、出だしを間違えて「フー・アー・ユー?」とやってしまった。そこは百戦練磨の大統領、これを軽く受けて「アイム・ヒラリーズ・ハズバンド」。わが首相は堂々と「ミー・ツー」と応じた!!
 これは日本人全体の英語力のレベルの低さを揶揄したジョークと考えるべきであろう。アジア諸国のTOEFLの成績ランキング(2003年)を見ると日本は23カ国中の22位である。一つ上はモンゴル、一つ下は北朝鮮である。
 「英語の壁」は日本の国際化を阻害し、世界における存在感、競争力を著しく低下させる要因となっている。近年、特に言われているのが、日本産業の「ガラパゴス現象」であり、その代表的な事例が携帯電話である。
 日本の携帯電話にはすばらしい技術が使われ、他の追随を許さない機能がつめられている。したがって国内市場では日本製が圧倒的なシェアを持っており、外国製では太刀打ちできないところも多い。ところが世界市場全体で見ると、ノキア、サムスン、モトローラの3社で66%のシェアを占め、日本製は6%を占めているに過ぎない。
 このような現象は携帯電話に限らず、家電品、パソコン、半導体など多くの産業分野で見られるところである。
 「国内では売れるのに海外では売れない」ことの背景には、設計や製造など技術以前に問題がある。即ち「製品定義」の問題である。しっかりした製品定義のためには、性能、機能、形状だけでなく、標準化動向、顧客ニーズ把握などの徹底したマーケティングが必要である。そのためには言葉の壁を越えて、微妙なニュアンスも取り残さず理解する能力が要求される。中途半端な英語力ではまったく太刀打ちできない。まして、通訳を介してのマーケティング活動では「勝てる製品定義」を行なうことは不可能だろう。
 日本人の英語力が問題になったのはかなり前からのことであるが、その対策がなかなか進まないのは英語教育を担当している文科省の無為無策というべきであろう。普通の大学卒であれば中学で3年、高校で3年、大学で2年、合計8年は英語を勉強している。しかし、卒業してすぐに英語で会話が出来る人は少数派である。8年間の教育が無駄に使われているといっても過言ではないだろう。
 その原因は英語の教育が「コミュニケーションのツールとしての英語」でなく、英語学のための基礎を学ぶような形で、文法の詳細や読解が中心になっているからであろう。
 その方法を根本的に変えて「ツールとしての英語教育」に徹すべきである。
 そのためには、英語を教える先生方の育成が急務であり、英語圏で1年間の語学研修を積ませる事を提案したい。たとえば5ヵ年計画でそれを行うことにし、1年ごとに2割の先生方を海外に送る。その穴埋めにはネイティブ・スピーカーの先生を雇うことにする。海外を経験した先生方は単に語学のみならず、他国の社会、文化、歴史を体得することが出来、深みのある英語教育を行うことが出来るようになるだろう。
 さて、そのためには年間で数百億円の規模の金がかかるであろう。その金はどこから出るのか? あるいは、その金はペイするのか? といった議論が出るかもしれない。
 しかし、今日のグローバル化の拡がりに対応するために、しっかりした英語力を身につけた人材の育成は「MUST」であり、「米百俵の精神」を忘れてはならない。■

(日刊工業新聞 2010年5月24日 掲載)

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