卓見異見

 

第三回

「デジタル遊牧民」の時代

半導体シニア協会

理事長
牧本 次生


 今から13年前の97年に、英国の技術ジャーナリスト、マナーズ氏との共著として「デジタル遊牧民」を上梓した(英文タイトル:Digital Nomad)。「デジタル遊牧民」とは、高度の携帯情報端末を持つことによって、いつでも、どこでもネットワークにつながることができ、場所や時間の制約から解放されたライフスタイルを象徴する表現として本のタイトルに選んだのである。
 本の冒頭で取り上げたのは、ほんの一部の人しか携帯電話を持っていなかった頃のある事件だ。95年6月21日、函館空港に着陸したANA機がハイジャックされて滑走路に立ち往生した。この乗客の中に、当時珍しかった携帯電話を何人かが持っており、機内の状況をひそかに警察へ通報したのである。これによって機内への突入計画が練られ、何の被害もなく事件は解決をみた。携帯電話が果たした役割が大きく取り上げられ、一般の関心が高まったのである。それは「デジタル遊牧民」時代の到来を予感させる出来事であった。
 しかし、この当時の携帯電話は単に通話機能のみであり、「デジタル遊牧民」という言葉が広く一般に理解されたとはいい難く、「どんな意味ですか?」と質問を受ける場合も少なくなかった。
 それから10余年が経過し、世の中は様変わりした。身の回りにはデジタル遊牧民を対象にした製品が続々と登場しており、特にここ数年の進歩は目覚しい。携帯電話にはカメラ、メール、ウエブ検索、ゲーム、電子マネーの機能などが追加され、最近ではiPhoneなどの高機能版も出現、利便性は一段と高くなった。一方、パソコンは小型化・携帯化が進み、ネット・ブックやiPadに代表される新型が出てきて、デジタル遊牧民の活動を支えている。さらには電子書籍としてアマゾンのKindle,ソニーのe-Bookリーダーなどが伸張しており、遊牧民的な本の読み方のスタイルを可能にしている。言うまでもなく、このような新しい時代の到来を可能にした背景には半導体の間断なき技術革新がある。いまや、この分野はエレクトロニクス産業の主戦場といっても過言ではない。
 さて、デジタル遊牧民の時代においては「人の移動」と「情報の移動」とが従来とは逆になる。たとえば、東京などの朝夕の通勤ラッシュを考えてみよう。朝、ビジネスマンは情報のある都心オフィスに向かって移動し、仕事が終わると一斉に帰路に着く。通勤のために住む所もおのずと制約を受ける。一方、デジタル遊牧民の時代では、情報端末さえ持てば、人のいるところに情報が移動するので、場所や時間の制約から解放されて仕事をすることができる。すべてのビジネスマンが同じ行動をとる必要はないのだ。すでに、在宅勤務は現実のものとなりつつあり、テレビ会議や遠隔授業なども広がりをみせている。 こうして都市部のラッシュアワーがなくなれば、住みやすくなるばかりでなく、大きなエネルギーの節約にもなる。また、これを個人のレベルで考えれば通勤や移動の時間がなくなるので「可処分時間」が増えることになる。それをどう活用するか? 趣味か、家庭か、休養か、更なる研鑽か? これはデジタル遊牧民に与えられた特権である。
 一方、デジタル遊牧民のスタイルは過疎化が進んでいる地方の活性化におおいに貢献することが期待される。私の生まれ故郷の種子島を例に取れば人口のピークは50年前の約6万5千人であったが、現在ではほぼ半数の3万5千人と人口減少に歯止めがかかっていない。
 離島のハンデは物や人の移動に時間と金がかかるため、企業の進出もままならず、過疎化が進む悪循環となっている。その結果いろいろな面で都会に遅れをとっている。しかし、そこには都会では失われてしまった、自然のやさしさと美しさが多く残されている。洋々と広がる海の青、山の緑、澄み切った小川の流れ、夜空に輝く星の群れ、そしておいしい空気など、「デジタル遊牧民」にとっては大きな魅力だ。
 「情報の移動」にはコストが殆んどかからず、距離のハンデはなくなる。この特性を地方の活性化のために大いに活用して、過疎化現象に歯止めをかけて欲しいと願っている。千載一遇のチャンス到来である。■

(日刊工業新聞 2010年6月28日 掲載)

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