卓見異見

 

第四回

女心と半導体

半導体シニア協会

理事長
牧本 次生


 古来わが国において、予測しがたい事の代表として「女心と秋の空」といわれる。昭和37年にダークダックスが歌って大ヒットした「山男の歌」にはその感じがよく表現されている。

『山男よく聞けよ 娘さんにゃ 惚れるなよ 娘心はよー 山の天気よ』

 しかし、この歌が流行ったときからすでに半世紀近くの歳月が流れ、この間にスーパーコンピュータの進化などによって天気予報の精度は格段に改善された。3時間毎の予報も出されるようになって「先が読めない」という状況ではなくなった。
 近年、「秋の空」よりも予測が難しいのは「半導体市況」である。好調に推移していた市況が突如変調をきたして大不況に突入する現象は「シリコンサイクル」とも呼ばれ、事前の予測は極めて困難である。まかり間違えば企業倒産にいたるほどのインパクトがあり、経営者の更迭や降格も稀ではない。08年に始まった直近の不況では、ドイツのキマンダ社と米国のスパンション社が経営破綻した。
 今回の不況において予測と実績とがどのくらい乖離したかを見てみよう。WSTS(世界半導体統計)は、毎年春と秋に市場予測を発表するが、07年秋時点での予測では08年が2,806億$、09年が2,979億$と2年連続のプラス成長を予測していた。しかるに実績は08年が2,486億$、09年が2,263億$と2年連続のマイナス成長となったのだ。予測と実績の差額合計は1,036億$(約9.3兆円)となり、巨大な市場が目の前から消滅してしまったのである。まさに「女心と半導体」こそ、現代にふさわしい表現だといえよう。
 半導体の事業計画を立案する場合に、もっとも重要な前提は市場の動向であり、その予測が大幅に外れることになれば事業計画は大きな齟齬をきたすことになる。
 過去の歴史において今回のような大不況は4回あった。半導体にとって最初の経験は1974年、オイルショックに触発されたもので、2年連続のマイナス成長であった。第2回は1985年、メモリの需給ギャップが引き金になったもので、この不況時にインテル社はメモリ分野から撤退、MPUに集中することで世界トップへの礎を築いた。第3回は1996年、パソコン市場の変調とアジア金融危機が重なったもので、この不況を契機に韓国や台湾勢の台頭が顕著となった。第4回は2001年、ITバブルの崩壊が原因となったもので、半導体メーカーのファブレス化や統廃合(日立と三菱のシステムLSIが統合されルネサスが誕生)などの大きな事業再構築が広がった。
 いずれの場合にも不況の背景は異なるが、おおむね次のような順序を辿るのが普通である。「強気の市場予測」→「設備投資競争」→「生産能力向上」→「市場の伸び悩み」→「過剰供給」→「急激な価格低落」→「大不況」。
 史上5回目となる直近の不況では、07年1月に発売されたウインドウズVISTAへの期待感から、DRAMなどについて強気の予測がなされ、設備能力が増強された。実際にはVISTA効果は不発に終わり、リーマン・ショックが追い討ちをかける形になったので需給バランスが崩れ、突如の大不況に見舞われたものである。
半導体産業が成長を続ける限り、今後ともこのようなシリコンサイクルが解消されることはないだろう。しかし、現代の社会における半導体産業の重要性を考えるとき、この難関を避けて通ることはできない。
 シリコンサイクルによる傷を軽くするためには、好況時、不況時にかかわらず、常に不測の事態に備えておかなければならない。以下は私が過去のサイクルから学んだ三か条の教訓であるが、大きな設備投資を伴う他のハイテク産業にも相通ずるものである。
 第一に、あらゆる情報網を生かして市場の変化を先取りし、その変化に即応すること。会社全体が高感度アンテナとなり、打てば響くようなスピード感が大事だ。
 第二に、好況時の慢心は最大の敵である。来るべき不況に備えて事業構造を最適化し、損益分岐点を極力引き下げておくこと。
 第三に、不況時に怯まぬこと。どんな大不況であっても「日はまた昇る」ことを信じて、将来への投資を怠ってはならない。その勇気と共に先立つものはキャッシュである。
 「女心と半導体は」永遠のテーマである。その難題に挑戦し、勇敢に乗り越えてこそ人生の本懐ということができよう。■

(日刊工業新聞 2010年7月26日 掲載)

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